八千代湯の想い出

郷愁の八千代湯 →  → 今は 八千代マンション


この風呂屋さん、行啓通りを挟んで、学校の正門真向かいに在り、歴代の相撲部員がお世話になった忘れることのできない愛湯である。

新入部員の時など稽古でシゴかれ、校舎北端にあった相撲場から、時には裸足で砂まみれになった褌(まわし)姿のまま行くのである。

番台のおばさん 「砂は、ほろってよ!!」、 我ら一同「ハイッ」と入り口で褌(まわし)をとく、パラパラと褌(まわし)にはさまっていた砂が落ちる、それから脱衣場に上がったのである。

そして湯に浸かった時の心地よさこの上なし!  その後湯船から上がったら先輩の背を流すのであるが、今想えば 「何だか相撲部屋みたいだったな」 と想い起す。

時には番台に南高生(札幌南高校)の娘さんが座って居る時があってチョト恥ずかしいなぁと思ったことがあったり、あるときにはボイラー室を訪問、他ならぬ悪戯に気を取られた事もあった。 

このような環境と境遇のなかで、三年間お世話になったのである。

この風呂屋さん月曜が休み、その日は500メートル程離れたところにある、中島公園通りの「公園湯」まで褌(まわし)姿のまま、真冬でも歩いたものだった。そんな部員の姿を見た人達には決して利口な生徒には見えなかっただろうなぁと想う。 でもそのときは寒さなど感じた思いはない。

かなり以前に建設業のある社長さんが 「金も名誉もいらない、若さが欲しい!」 と云っていたのを、卒業後半世紀に達した今、想い出すのである。  

         2007年3月  土木科卒相撲部員 本間氏  回想起文
  (藤原転書)  



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