Fさんご無沙汰してます。 変わりありませんか?
100周年データを載せたHP拝見しました、ありがとうございました。
寄付者名簿を拝見して多少残念に思いました。 30年機械卒6人、31年機械卒6人、我々32年機械卒がわずか4人で 33年卒が9人・・・・ 思い起こせば、60年前の 「40周年記念」 は、私達が入学時に(その後在学中も?)何がしかの記念事業協賛金を 授業料と同時に徴収されていた事実から、私達が高3の在学中(昭和32(1957)年3月卒)に行われるべきを望みました。 昭和31(1956)年4月頃と思うが、生徒会顧問(立花先生?)、校長先生らへ 「40周年記念事業への生徒会の準備」について相談したが、 「都合で40周年事業は次年度の4月以降だ!」と言われ、PTA会長へも談判に行った記憶があります。 そして私達が卒業後の昭和32(1957)年10月4日に、校舎改築落成記念と合わせ「40周年記念事業」が実施されました。 以上の事由から小生は寄付したくなかったのですが、同窓会関東支部や関東札機会の手前、しぶしぶ協力しました。 卒業後しばらくしてから、クラス担任だった吉田先生から 「延期の事情は、不景気で寄付が集まらなかったからだ」 「お前の在校時の行動が行き過ぎだったので、退学か卒業延期の議論が職員会議の議題に上った」と聞かされました。 もうとっくに“時効”ですが、くだらんことを思い出しました。 |